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県外市区町村
災害時相互援助協定
杉並区及び小千谷市の災害時相互援助に関する協定
協定締結日:平成16年5月12日
杉並区と小千谷市は、「東京小千谷学生寮」が杉並区内に建設されていることから、杉並区のイベントに小千谷市が参加したり、小学校同士での交流事業の開催や小千谷市のイベントに区民が参加するなど交流を深めてきました。
この繋がりから、大規模災害時に相互に支援することを目的として、平成16年5月20日の市制施行50周年記念式典において「杉並区及び小千谷市の災害時相互援助に関する協定」を締結しました。
この協定には、杉並区と小千谷市が今後とも経済・文化・教育・観光などの分野での交流をさらに進めるとともに、区民・市民レベルでも豊かな交流を図っていくことを前文に記載しています。
平成16年10月23日発生の新潟県中越大震災において、全国自治体の中で杉並区がいち早く小千谷市の支援に駆けつけ、その後の小千谷市の復旧・復興に向け、多くの支援をしていただきました。
小千谷市及び南相馬市の災害時相互援助に関する協定
協定締結日:平成24年12月25日
小千谷市は、東京都杉並区が主宰する「自治体スクラム支援会議」(※1)のメンバーとして、東日本大震災の被災地支援において、南相馬市に対して重点的に先遣隊派遣、被災者の受入れ、市職員を派遣し行政事務支援、市民義援金・見舞金の贈呈などを行ってきました。
このたび、市民交流、市職員派遣などが継続していることや、今後も県外自治体として大規模災害時にも相互に広域支援が期待できることから、「小千谷市及び南相馬市の災害時相互援助に関する協定」を締結しました。
※1 「自治体スクラム支援会議」とは、東京都杉並区と同区が災害時相互援助協定を結んでいる4自治体(設立時)で構成する会議。東日本大震災で大きな被害を受けた南相馬市に対し、初動対応から今日まで連携・協力しながら支援するとともに、災害時における基礎自治体の自主活動を一層促進するために必要な災害救助法の改正に向けた取り組みを推進していくことを目的に、平成23年4月8日に設立された組織です。平成25年4月現在の構成団体は6自治体。
災害時における相互応援に関する協定(日立市)
協定締結日:平成24年12月26日
日立市との関係は、平成16年の中越大震災時に日立市職員の派遣を受け行政事務を支援していただいたことから始まり、「中越大震災ネットワークおぢや」(※2)に加入していただき、ともに活動しています。
この繋がりから、東日本大震災時には小千谷市の支援活動として、先遣隊派遣、市民義援金・見舞金の贈呈、支援物資の提供を行いました。
このような支援の繋がりがあることから、今後も県外自治体として大規模災害時にも相互に広域支援が期待できることから、「災害時における相互援助に関する協定」を締結しました。
※2 「中越大震災ネットワークおぢや」とは、平成16年10月23日に発生した新潟県中越地震の災害対応現場で得た知恵や教訓を関係者の間で共有するとともに、次の災害では経験者としてアドバイスをする、あるいはノウハウを提供する人的な繋がりの拠点の一つとするために、新潟県中越地震の災害対応関係者のネットワークとして平成17年10月25日に設立した組織です。
災害時相互応援に関する協定(浦安市)
協定締結日:平成25年7月11日
浦安市との関係は、平成16年の中越大震災時に支援物資の提供、浦安市職員の派遣を受け行政事務を支援していただいたことから始まり、「中越大震災ネットワークおぢや」に加入していただき、ともに活動しています。
この繋がりから、東日本大震災時には小千谷市の支援活動として、支援物資の提供、市職員を派遣し行政事務支援、市民義援金・見舞金の贈呈を行いました。
このような支援の繋がりがあり、今後も県外自治体として大規模災害時にも相互に広域支援が期待できることから、「災害時相互援助に関する協定」を締結しました。
災害時における相互応援に関する協定(久慈市)
協定締結日:平成28年6月13日
久慈市との関係は、平成16年の中越大震災時に人的支援や被災した闘牛の受入れなどを支援していただいたことから始まり、「中越大震災ネットワークおぢや」に加入していただき、ともに活動しています。
また、古くから「牛の角突きの習俗」など闘牛を通じて、市民レベルでの人的・物的交流をしています。
この繋がりから、東日本大震災時には小千谷市の支援活動として、支援物資の提供、市民義援金・見舞金の贈呈を行いました。
このような支援の繋がりがあり、今後も県外自治体として大規模災害時にも相互に広域支援が期待できることから、「災害時における相互応援に関する協定」を締結しました。
災害時相互応援に関する協定(北塩原村)
協定締結日:平成29年3月16日
北塩原村との関係は、平成16年の中越大震災時に支援物資の提供や、北塩原村職員の派遣を受け行政事務を支援していただいたことから始まり、「中越大震災ネットワークおぢや」に加入していただき、ともに活動しています。
この繋がりから、東日本大震災時には小千谷市の支援活動として、支援物資の提供や市職員を派遣し行政事務支援、市民義援金・見舞金の贈呈を行いました。
このような支援の繋がりがあり、今後も県外自治体として大規模災害時にも相互に広域支援が期待できることから、「災害時相互応援に関する協定」を締結しました。
特産品相互取扱協定
特産品相互取扱に関する協定(泉佐野市)
協定締結日:平成29年10月19日
泉佐野市と小千谷市は、都道府県の垣根を越え両市がお互いの特産品をそれぞれのイベントやふるさと納税の返礼品などとして相互に取り扱い、全国に共同で情報発信することを目的として「特産品相互取扱協定」を締結しました。
戊辰戦争
明治元年(1868年)新政府の薩摩藩西郷隆盛は、幕府を挑発する目的で、江戸の薩摩藩邸に浪士を集め市中で遊撃戦をおこなっていました。
さらに江戸取締の庄内藩の営所を襲ったので、幕府は庄内藩らに命じて江戸薩摩藩邸に報復攻撃をおこなうことにしました。
その一報を受けて、江戸に向かった大阪の旧幕府軍は、新政府軍と鳥羽・伏見街道で接触し、激戦となりましたが、その洋式軍備の前に敗退し(鳥羽・伏見の戦い)、戦意を失った徳川慶喜は側近を伴い、大阪城を脱出して江戸城へ逃亡しました。
江戸城で新政府との恭順を決めた慶喜は、長州に敵視されていた松平容保・定敬を追放。失意の会津藩は、江戸を引き上げ会津に帰り、軍制を改革して新政府軍の攻撃に備えました。
新政府軍は奥羽に総攻撃を開始し、明治元年5月に行われた 越後長岡藩家老 河井継之助と 新政府軍の軍艦 岩村精一郎との講和談判も決裂。長岡城も落城し、負傷した継之助は会津方面に逃れましたが、傷が悪化して、只見町塩沢で亡くなりました。
小千谷市との関係
- 慈眼寺(岩村・河井会見の処)
明治元年(1868年)5月2日、長岡藩家老 河井継之助が西軍(新政府軍)の軍艦 岩村精一郎との戦いを避けるため講和談判をおこなった場所です。
- 戊辰戦争古戦場(朝日山山頂)
戊辰戦争の際、長岡藩などによって築かれたフランス式塹壕や野営場の跡があり、また、山頂には展望台や会津藩士の墓地があります。
- 船岡公園(新政府軍戦死者墓地)
桜で有名な船岡公園山頂には、西軍(新政府軍)兵士を慰霊した墓地があります。
- 平成13年 長岡、萩、下関市長来市。慈眼寺で133年前の小千谷会談の模様を再現。
平成13年11月23日、当市の関広一市長の仲介で、西軍(新政府軍)の主力をなした長州の萩市長(野村興児市長)・下関市長(江島潔市長)と戦火に焼かれた長岡藩の長岡市長(森民夫市長)を握手させる会談が、談判決裂となった慈眼寺の「岩村・河井会見の処」(市指定文化財)で開催され、歴史的な握手が交わされました。
非核平和推進事業
小千谷市は、国の非核三原則の堅持と核兵器廃絶による平和の実現を求めて、平成4年6月23日「非核平和都市宣言」をおこないました。
以来、非核平和推進事業として、市内各中学校の代表者を、8月6日に広島市で開催される「平和祈念式」に派遣し、非核平和の大切さについての研修をおこなっています。
この他に、8月6日「広島平和記念日」・8月9日「長崎原爆の日」に合わせ、市民のみなさんから事前に非核平和について考えていただけるように、被爆体験者を講師にお招きしての「非核平和講演会」や「原爆記録パネル展」などを開催しています。