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魚沼神社太太神楽(うおぬまじんじゃだいだいかぐら)
魚沼神社太太神楽の由来
魚沼神社には、「魚沼神社永代大々御神楽講帳」、「魚沼神社大々講帳」の2冊の書類が残されており、いずれも元治元年8月(1864)に神主 藤原溏魚(画家でもあった五十嵐香壑の父親)の名前で出されています。
この中では、新社再建につき、これまで廃絶していた二十一座太太神楽を準拠して行うための寄付募集が行われています。新社とは安政5年(1858)に竣工した拝殿のことであり、これに先立ち本殿、奥の院も作られました。
このため、現在の十二座太太神楽の発祥は元治元年以降であると思われます。それ以前にあった二十一座の発祥については不明です。また、神楽に使用する面の裏には、慶応元年八月(1865)と記載があるものがあり、前年の寄付募集の結果、作成されたものと推定されます。
太太神楽の来歴
言い伝えによれば、刈羽郡北条村御嶋石部神社(現:柏崎市北条)から神楽面や舞人を借りて実施していたのですが、面については慶応元年に新調され、舞については明治25年(1892)に神主の息子である、寛平が北条村にて習い覚えた舞を村中の若者に教えたとの記録があります。ただし、現在御嶋石部神社に伝わる神楽とは全く異なっているとのことです。
神楽の中断と復活
明治中期以後、地域の人々によって舞われてきた太太神楽は、戦争の激化とともに行われなくなったものの、戦後昭和23年(1948)、27年(1952)に太太神楽奉加帳が回されて、早速の復活となりました。その後、高度経済成長期に再び途絶し、昭和52年(1977)魚沼神社太太神楽保存会が結成され、復活上演されたものが今日に至っています。
魚沼神社太太神楽の上演
毎年8月15日、16日の神社大祭で奉納されています。専用の神楽殿も作られ、7月になると練習が本格化し、笛の音が町内に響き渡ります。実際の舞や、囃子は若い世代により行われています。地域の小学生から大学生、社会人までが多く参加し、お盆の期間でもあり、市外から小千谷に帰省して参加する会員もいて、活発に活動しています。
地域の宝物として定着しているこの太太神楽が今後とも継承され、後継者育成が進んでいくことが期待されています。
文化財指定日 2014年3月24日