年譜
印刷用ページを表示する 掲載日:2012年12月18日更新
西脇順三郎 略年譜
明治27年 | 1月20日小千谷市(現・平成1丁目 屋号「西清」)に生まれる。 |
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明治33年 | 小千谷尋常高等小学校に入学。 |
明治39年 | 新潟県立小千谷中学校(現・小千谷高等学校)に入学。英語に異常な興味を抱き、勉学に熱中。絵画・漢詩にも深い感心を持った。 |
明治44年 | 小千谷中学校卒業。画家を志望し、上京。藤島武二の内弟子となり、黒田清輝の白馬会に入会したが、父の寛蔵が亡くなったため、画家志望を断念。しかし、生涯絵画に親しんだ。 |
大正3年 | 慶應義塾大学理財科に入学。(大正6年、卒業) |
大正9年 | 萩原朔太郎の詩集「月に吠える」の口語自由詩のスタイルに強い衝撃を受け、日本語による詩作を決意。 |
大正11年 | 英語英文科・文芸批評・言語学研究のため、慶応義塾大学留学生として渡英。 |
大正12年 | オックスフォード大学ニュー・カレッジ入学。古代中世英語英文学を主として学ぶ。 |
大正13年 | パリでフランス印象派絵画に接する。英国人画家マージョリ・ビドルと結婚(昭和7年離婚)。 |
大正14年 | 英文詩集「Spectrum」(ケイム・プレス社、自費出版)を刊行。 ロンドンから帰国。 |
大正15年 | 慶応義塾大学文学部教授に就任。西脇順三郎を中心とする文学サークルの輪が形成され、未来派・タダ・シュルレアリスム等新芸術運動が大いに起る。 |
昭和2年 | 日本最初のシュルレアリスム・アンソロジー「馥郁タル火夫ヨ」が西脇順三郎を中心として刊行された。 |
昭和4年 | 「超現実主義詩論」刊。 |
昭和8年 | 詩集「Ambarvalia」刊。これによって詩人としての位置は決定的なものとなり、荻原朔太郎・室生犀星等の称賛をうける。 |
昭和10年 | この頃から戦時中を通じ約10年間詩を発表せず沈黙し、学術研究に没頭、水墨画に親しむ(自ら「東山」と号した)。 |
昭和22年 | 詩集「あむばるわりあ」・「旅人かへらず」刊。 |
昭和24年 | 「古代文学序説」により、文学博士の学位を受ける。 |
昭和28年 | 詩集「近代の寓話」刊。 |
昭和32年 | 詩集「第三の神話」により読売文学賞を受ける。 |
昭和35年 | 詩集「失われた時」刊行。 |
昭和36年 | 日本芸術院会員となる。 |
昭和37年 | 日本現代詩人会会長となる。 |
昭和39年 | 小千谷市名誉市民となる。 |
昭和42年 | この頃から晩年にかけて、次第に故郷を思う心を深める。 |
昭和46年 | 文化功労者に選ばれる。 |
昭和49年 | 勲二等瑞宝章を受ける。 |
昭和50年 | この頃から折ある毎に帰郷滞在し、懐旧の地を巡歴する。 |
昭和51年 | 蔵書多数を小千谷市に寄贈。 |
昭和53年 | 小千谷市立図書館開館と同時に「西脇順三郎記念室」を開設。 |
昭和54年 | 詩集「人類」刊行、最後の詩集となる。 |
昭和57年 | 6月5日午前4時20分、小千谷市総合病院にて死去(満88歳)。 6月15日市民葬。 |
昭和58年 | 「西脇順三郎を偲ぶ会」発足。会報は「幻影」。 |
昭和60年 | 小千谷市山本山山頂に詩碑建立。 |