ライブラリー詳細
ホントカ。内には小千谷出身の西脇順三郎ライブラリーがあります。自身の所蔵していた洋書や、絵画・原稿等の展示をしています。
西脇順三郎
西脇順三郎 明治27年―昭和57年(1894年―1982年)
小千谷に生まれ、88歳で亡くなるまでに多数の著作を表し、終焉の地も小千谷となった。当初は画家志望であったが、希望がかなわず、文学の道を歩む。また、英国に留学し、帰国後、慶応義塾大学の教授を始め多くの大学の教授を務めた。
▲『西脇洋書』西脇順三郎自身の所蔵していた洋書約1,200冊
シェイクスピアやエリオット、ジョイス、パウンド、ペイター、ローレンス、キーツ、など詩人や文学者のものが多い。
▲山本山に立つ詩碑(南面と北面)
西脇順三郎が出版した本のご紹介
スペクトラム
1925年(大正14年)ケイム・プレス社刊(ロンドン)
西脇順三郎が1922年(大正11年)28歳で慶応義塾留学生として、英語英文学、文芸批評、言語学研究のため、渡英しているとき英文詩集『Spectrum』を自費出版。
ロンドンではT.S.エリオットなどと一緒に同じ雑誌に英詩を発表する。ジョン・コリアーなどと交友を重ね、イギリスの文学青年や作家、画家、ジャーナリストなどとしきりに交流を重ねる。英国人の画家マージョリ・ビドルと結婚し、帰国した。この渡英中の西脇順三郎はモダニズム全盛期のイギリス文壇の空気を吸収し、現代詩、現代文学、前衛絵画、彫刻などその後の西脇順三郎の詩人誕生に決定的な影響を与えた。
アムバルワリア
1933年(昭和8年)椎の木社刊
詩人としての決定的な評価を得ることとなった、西脇にとって日本で出版した最初の日本語の詩集。
最初の「ギリシア的抒情詩」の「天気」のわずか3行で評価を得たともいわれる。
(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日
このワインレッド色の装丁の詩集を出版以後、1979年(昭和54年)87歳で出版した最後の詩集、『人類』まで詩集など多数の著作を出しつづけた。
旅人かへらず
1947年(昭和22年)東京出版
詩集『Ambarvalia』以後戦時色が濃くなってからは、沈黙を守り詩集を出さなかったが、戦火がひどくなると故郷の小千谷に疎開し、さかんに日本画を描いたり、南画の研究などを行い、『旅人かへらず』の構想を抱く。終戦後、再び上京し、詩作を始める。
『Ambarvalia』などの昭和初期の作品とは詩風がまったく異なるため、詩壇から多大な関心を注がれた。
あむばるわりあ
1947年(昭和22年)東京出版
昭和8年の『Ambarvalia』を戦後になり、その文体、語法に不満を覚えて徹底的に改作して出版。『旅人かへらず』と合わせ詩壇において評価がわかれた。